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長崎地方裁判所 昭和57年(ワ)184号 判決 1984年9月26日

原告

松尾美好

原告

松尾美智子

原告

香川文子

原告

中村玲子

右四名訴訟代理人

松永保彦

被告

池田太郎

被告

池田花子

右両名訴訟代理人

川口春利

主文

被告らは、各自原告松尾美好に対し金一九六五万七〇〇〇円、同松尾美智子に対し金三〇〇万円、同中村玲子に対し金三〇万円、同香川文子に対し金一万円及び原告松尾美好に対しては右の内金一七六五万七〇〇〇円について、その余の原告に対しては右各金員について昭和五六年九月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用はこれらを四分し、その三を原告らの、その余を被告らの負担とする。

この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告松尾美好に対し金七六八九万一三五〇円、同松尾美智子に対し金六四一万三〇〇〇円、同中村玲子に対し金五一万円、同香川文子に対し金二万七二〇〇円及び原告松尾美好に対しては右内金七三八九万一三五〇円について、同松尾美智子、同中村玲子、同香川文子に対しては右各金員について昭和五六年九月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  火災の発生

(一) 発生日時 昭和五六年四月二七日午後六時ころ

(二) 発生場所 長崎市横尾町二丁目一三九一番一四八(現同二丁目五番七号)

(三) 結果 前同所所在の原告松尾美好所有建物(以下「焼失家屋」という)全焼

2  原因

被告池田太郎、同池田花子の長男であるA(当時小学校五年生、昭和四五年七月二七日生。)は、自宅からマッチを、Aの同級生であるB(同学年、同年四月二五日生。)は自宅から灯油をしみ込ませた紙片を、各々持ち出し、原告美好方のブロック塀を乗り越えて侵入し、各持参した右マッチと紙片を使用して、両名で前記家屋に放火した。

3  責任

(一) Aは、放火当時満一一才(訴状に一〇才とあるは誤記と認める。)の児童であり、事の善悪はある程度認識しうる年令ではあるが、火遊びにより住家が全焼すれば、それによつて法的にいかなる結果が生ずるかにつき、十分なる弁識をなす能力を備えていなかつた。即ち、Aは放火当時、責任無能力者であつた。

被告らは、Aの両親(親権者)として、Aを監督すべき法定の義務ある者であるから、民法七一四条一項によりAが原告らに加えた損害を賠償すべき義務がある。

(二) Aは小学校二年生のころ、近所の斎藤厚方庭でマッチをすり、草に火をつけて遊ぶという行為を数回繰り返えした。そこで斎藤夫婦は、被告らに対し、Aにマッチを持たせたり、火遊びをさせないように口頭で厳重注意をした。したがつて、被告らには、Aに対し、火気につき十分の注意と指導、監督をなし、マッチを使用されることのないように管理すべき注意義務があつた。しかるに、被告らは右注意義務を怠つた過失があり、その結果Aは、前記放火に出たものであつて、右過失と本件火災との間には相当因果関係があるというべきである。

したがつて、被告らには、民法七〇九条の不法行為責任がある。

4  原告美好の損害

(一) 家屋 金一一一四万七五〇〇円

焼失家屋は、

木造セメント瓦葺二階建居宅

床面積

一階 80.23平方メートル

二階 25.08平方メートル

合計105.31平方メートル

(31.85坪)

であつた。焼失家屋を通常の材質の材料によつて新築する場合の建築費は坪当り金三五万円であるので、新築に要する費用は金一一一四万七五〇〇円である。而して、焼失家屋は建築してさして間がないものであるから、右新築費用が焼失家屋の損害である。

(二) 解体工事費 金三五万円

原告美好は、焼失家屋の解体、撤去を株式会社杉田産業に依頼し、その費用として金三五万円を支出した。

(三) 塀等撤去及び新築工事 金五二万九一〇〇円

焼失家屋の周囲には、原告美好所有の門、門柱、門扉、塀が存在したが、これらはいずれも火災によりヒビ割れが生じ、倒壊の危険が生じた。そこで、同原告はこれらの全部の撤去及び敷地東側の塀の新築を有限会社内山組に依頼し、その費用として金一四万円を支出した。

また、その余につき、以前と同質、同規模のものを新築するには合計金三八万九一〇〇円を要する。

(四) 家財 金九二七万七三七五円

別紙家財損害一覧表(但し※47ピアノ及び※100ないし※106の幼児用品を除く)記載のとおり焼失した。

(五) 標本 金二九三〇万八〇〇〇円

焼失家屋に置いていて共に焼失したもの。

別紙標本損害一覧表記載のとおり。

評価額は日本甲殼類学会会長酒井恒氏の評価による。

(六) 文献 金二〇一一万六〇八〇円

別紙焼失文献一覧表記載のとおり。

(七) 研究用器具、薬品 金九六万五三一五円

別紙研究用器具一覧表記載のとおり焼失。

(八) 交通費、宿泊費、電話代 金九万二九八〇円

(1) 本件火災当時、原告美好、同美智子は長崎県壱岐郡勝本町坂本触二二二番地一〇に居住していたところ、本件火災を知り、昭和五六年四月二八日火災現場までかけつけた。勝本町の自宅から壱岐空港までのタクシー代金三〇〇〇円、壱岐空港から福岡空港までの航空機代一人当り三六三〇円、合計金七二六〇円、博多駅から長崎駅までの列車運賃(特急料金込)一人当り金三三〇〇円、合計金六六〇〇円、長崎駅から火災現場までのタクシー代金一〇〇〇円の合計金一万九八六〇円を原告美好は支出した。

(2) 原告美好、同美智子は、本件火災の事後処理のため、昭和五六年四月二八日から同年五月七日まで一〇日間ホテルに一人一泊、四〇〇〇円で宿泊し、原告美好は、合計金八万円を支出した。

(3) 原告美好、同美智子は、昭和五六年五月八日、勝本町の自宅へ帰つたが、原告美好は、その交通費として、(1)記載と同様に金一万九八六〇円を支出した。

(4) 原告美好は、昭和五六年五月一七日に被告らとの示談のために、勝本町から長崎市へ来た。

原告美好は、(1)記載と同様の交通機関を利用し、合計金二万一八六〇円を支出した。

(5) 原告中村玲子は、長崎市内の学校で教育実習を受けるため、昭和五六年八月三一日から同年九月一四日まで、長崎市内の玉園荘に宿泊し、原告美好はその宿泊料金三万一四〇〇円を支出した。これは焼失家屋が存していれば支出する必要のないものである。

(6) 原告美好は、本件火災に際しての連絡等のため電話代金二万五〇〇〇円を支出した。

(九) 慰謝料 金二〇〇万円

原告美好は、昭和二三年頃から三四年の長きにわたり甲殼類の研究を行い、多数の貴重な標本、文献を収集してきたところ、これらの焼失により、多大な精神的苦痛を受けた。これを慰謝するには金二〇〇万円が相当である。

(一〇) 弁護士費用 金三〇〇万円

原告らは、法的知識、手続に不馴れであるため、原告代理人に訴訟を委任せざるを得なかつた。そこで原告美好は、その費用として、原告代理人に金三〇〇万円を支払う旨約した。

5  原告美智子の損害

原告美智子は、焼失家屋内に次の骨董品、美術品を所有していたが、全て焼失した。

(一) 掛軸(遊鯉図)孤舟画 金五五万円 同(百福)作者不詳 金二七万円

(二) 掛軸(声至湲)仙峰書 金七万円 同(泊天草洋)頼山陽詩 金一三万円

(三) お茶席用水指 岡山いんべ焼 金八〇万円

(四) 支那焼菓子器 径二五センチメートル 金一五万円

(五) 盆(輪島塗) 金二五万円

(六) マージャンパイ(中国製本象牙造) 金六五万円

(七) ガラス花器(イタリア製手造) 金五万円

(八) 油絵(果物、六号)堀越喜三郎画 金三〇万円 同(冬山、六号)同画 金三〇万円 同(裸婦、二〇号)小林万吾画 金五〇万円 同(アジサイ、八号)荒木恭画 金七万円 同(風景、三〇号)同画 金三〇万円 同(バラの花、六号)越道忠画 金一〇万円

(九) 木版画(南山手風景、六号)首藤栄画 金七万円

(一〇) 額絵皿(梅、径三〇センチメートル)筒山(原告美好の祖父)作金二五万円 同(鶴、径三〇センチメートル)同作 金二五万円

(一一) 陶磁器(灰皿)今右衛門焼金八万円 同(絵皿)同 金九万円

(一二) 花器(御所車) 二個 金一万円 同(陶器) 四個 金二万円

(一三) 日本人形(ケース入) 金七万五〇〇〇円

(一四) 掛時計 二個 金四万円

(一五) 置時計 二個 金一万円

(一六) フランス人形 金二万八〇〇〇円

合計金五四一万三〇〇〇円

また、前記(一)、(三)ないし(七)の品物はいずれも原告美智子が、父林保一から相続したもので、家宝と考えていたものである。これらの焼失により原告美智子は多大の精神的苦痛を受けた。これを慰謝するには金一〇〇万円が相当である。

6  原告中村玲子の損害

原告中村玲子は、焼失家屋内に、別紙家財損害一覧表記載※47ピアノ(評価額金五一万円)を所有していたが、火災により焼失した。

7  原告香川文子の損害

原告香川文子は、焼失家屋内に、別紙家財一覧表※100ないし※106の幼児用品(評価額金二万七二〇〇円)を所有していたが、火災により焼失した。

8  よつて、被告らに対し、原告美好は金七六八九万一三五〇円、同美智子は金六四一万三〇〇〇円、同中村玲子は金五一万円、同香川文子は金二万七二〇〇円及び原告美好については金七三八九万七三五〇円、その余の原告については右各金員に対する不法行為後の日である昭和五六年九月一日から完済まで年五分の割合による金員の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、放火したとの点は否認し、その余は認める。原告美好方が全焼したのは、Aらが石油をしみ込ませた紙にマッチで火をつけ、その火が原告方に燃え移つたためである。

3  同3、(一)の事実中、Aに十分なる弁識をなす能力を備えていなかつたこと及び被告らがAの監督義務者であることは認め、その余は争う。

同3、(二)の事実は否認する。

4  同4、(一)の事実中、家屋が全焼したことは認め、その余は争う。

同4、(二)の事実中、門などが存在したこと、これらの全部が撒去されたこと、東側に塀が新築されたことは認め、その余は争う。

同4、(三)ないし(九)は争う。

同4、(一〇)の事実中、原告代理人に訴訟委任したことは認め、その余は争う。

5  同5ないし7は争う。

三  被告らの主張

1  民法七一四条一項の責任について

(一) 民法七一四条一項但書によれば、監督義務者はその義務を怠らなかつたときは、その責任を免れることができ、他方、「失火ノ責任ニ関スル法律」(以下「失火法」という。)によれば、失火の場合には失火者に重大な過失があるときに限つて不法行為責任があり、軽過失は免責されるものとされ、責任の軽減が図られている。失火法の右趣旨からすると、民法七一四条一項の場合にも失火法が適用され、監督義務者が責任無能力者の監督について重大な過失があるときに限つて同条項の責任を負うものと解するのが相当である(福岡地裁昭和四六年七月九日判決、判例時報六五九号八一頁。大阪高裁昭和五六年四月一五日判決、判例時報一〇一八号八三頁。)。

しかして、失火法にいう「重大ナル過失」とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見過したような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指するものと解されている(最高裁昭和三二年七月九日判決民集一一巻七号一二〇三頁)。

(二) 被告らには、Aに対する監督について重大な過失はなかつた。

本件火災は、Aがマッチを、Bが灯油をかけたチラシ(紙)をそれぞれ自宅から持ち出し、右チラシを原告美好居宅の北東側角付近に置き、BがAの持つてきたマッチを用いてこれに火を付け、火遊びをしているうち、右居宅外装板に燃え移つて発生したものであるが、①被告らは、Aが幼稚園児の頃から、同人に対し、マッチを擦すると火が出て火事を起す、火は大変こわいものだなどと言い聞かせ、マッチの取扱について十分注意してきたこと、②Aが花火をするときは、被告らのうち少なくとも一人が側にいることとし、A一人ではさせず、花火遊びが終つたときは水をかけて消すなどの後始末をさせていたこと、③被告ら方では、本件火災当時、マッチをたんすの上段(六、七段目で、高さ約1.5メートルの位置)の引出しに入れて保管し、Aがマッチをたやすく手にすることができないよう配慮していたこと、④被告花子は、Aが小学校低学年の頃近所の主婦からAがマッチで火遊びをしていた旨聞いたので、火遊びは絶対にしてはいけないと同人を厳しく叱つたこと、⑤Aが灯油を手にしたりしたことはないこと、⑥被告らは、本件火災当時それぞれ仕事に就いていたが、高校二年の長女、中学校三年の二女は被告らより早く帰宅しAと三人で被告らの帰りを待つ家庭的環境にあつたことを総合すると、被告らは、マッチの取扱、火遊びについて、Aに対し相当の注意、指導をし、マッチの保管場所にも適切な対応をしてきたということができるから、被告らにはAの監督につき重大な過失はなかつたものというべきである。

2  民法七〇九条の責任について

(一) 原告らは、被告らには「被告ら両親自身が民法七〇九条の不法行為(過失責任)に基づく責任がある」と主張する。

しかしながら、本件のように、責任無能力者のなした違法な行為(Aらの行為は客観的には違法である。)に対する監督義務者の損害賠償責任については、同法七一四条の適用が問題とされるのみであつて、同条による監督義務者の責任が否定される場合には、監督義務者自身の過失責任、すなわち同法七〇九条の適用を考慮する余地はないものと解する。

3  原告ら主張の損害について

(一) 家屋の損害について

焼失家屋の損害額は、新築に要する費用額(新築価格)ではなく、焼失当時の当該家屋の時価相当額というべきである。

したがつて、損害額の算定については、家屋の建令、構造及び状況等が考慮されなければならない。

家財損害についても、同趣旨のことがいえる。

(二) 骨董品、美術品、標本、文献について

仮に原告ら主張のとおりのものが焼失家屋に存したとしても、その主張の損害額はいずれも算定基準があいまいであつて、客観性に欠けている。

また、通常の民家たる右家屋に主張のような標本が保管されていることは極めて特異な事例に属する。

4  弁済等の抗弁(予備的)

(一) 原告美好の損害賠償請求権の一部喪失

原告美好は、昭和五五年八月一八日日産火災海上保険株式会社との間で、保険金額を家屋につき金二五〇万円、動産につき金五〇万円とする火災保険契約を結び、同月二五日安田火災海上保険株式会社との間で、家屋につき保険金額金一五〇万円の火災保険契約を結んでいた。

そして、本件火災による家屋焼失のため、同原告は、右火災発生後六か月以内に日産火災から金三〇〇万円、安田火災から金一五〇万円の保険金の給付を受けた。

したがつて、商法六六二条一項により、日産火災は金三〇〇万円、安田火災は金一五〇万円の限度において、同原告が被告らに対して有する損害賠償債権を取得するから、同原告は、右各保険会社から支払を受けた右各保険金の限度で被告らに対する損害賠償請求権を失うこととなる。その結果、同原告は、支払を受けた右各保険金額相当の損害金については、これを被告らに対し請求することはできない(最高裁判決昭和五〇年一月三一日民集二九巻一号六八頁)。

(二) 弁済

Bの父母である山田一郎、同和子は、昭和五八年六月四日原告美好に対し、本件火災による損害金一五〇〇万円を支払つた。

四  被告らの主張に対する認否

1  被告らの主張1(一)、同2の主張は争い、同1(二)の事実は否認する。本件火災は、放火行為によるものであるから、失火法の適用はない。

仮に失火法の適用があるとしても、被告らの過失は、重大な過失である。

2  同3の主張は争う。

3  同4の事実は認める。但し、保険金受領による損害賠償請求権の一部喪失の主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一昭和五六年四月二七日午後六時ころ、被告らの長男Aと同級生であるBが、各々持参したマッチと、灯油のしみ込んだ紙片を使用したため、原告美好の家屋が焼失したこと、Aは当時一一才で小学校五年生であつたこと、被告らはAの両親でその監督義務者であることの各事実は当事者間に争いがない。

二本件火災の原因

<証拠>によれば、AとBは、世間を騒がすことをしてみようということで、まず朝長方と道路一つ隔てたはす向いの浜田弘高方玄関の木製ガラス戸下部にマッチと紙で火をつけたが、高さ二六センチメートル、幅一〇センチメートル位を焦がした程度でとどまつたこと、次いで、朝長方隣りの白川秀樹方出入口の階段付近の落葉に灯油をかけて火をつけたが、通行人に見られたこともあつて、自分達で火を消したこと、最後に原告美好方のブロック塀を乗り越えて、同人方建物の東北角に、建物に接着して灯油をしみ込ませた紙片を置いたうえ、所携のマッチで火を付けたところ、右建物に火が燃え移つたことの各事実が認められ、右各認定を左右するに足る証拠はない。

A及びBの意図、直前の行動並びに火を付けた場所が原告美好方に接着していたことや着火方法などに照らせば、本件火災は、Aらが火遊びをしていたところ、偶々原告美好方に火が燃え移つたものではなく、故意に同人方に放火したものと認められる。

三責任原因について

Aに十分な弁識能力が備わつていないことについては当事者間に争いがないから、本件では被告らの原告らに対する民法七一四条の責任の有無が問題になる。

被告らは、失火法の適用により責任を負わない旨主張するけれども、民法七一四条一項に該当する場合に失火法が適用されるのは、当該責任無能力者の行為が失火に該当する場合に限られるものと解するのが相当である。而して、本件火災は、故意による放火で失火には該当しないから、失火法は適用されない。

被告らは、Aの監督につき過失がなかつた旨主張するので検討するに、<証拠>を総合すれば、Aは小学校低学年のころに火遊びをしていたため、近所の主婦から被告らに注意があつたこと、本件放火についてA及びBの間に特に役割の軽重はないこと、Aが自宅からマッチを持ち出すについて特段の苦労をしていないことの各事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右各事実に、前記のとおりAらが世間を騒がせる目的で三回にわたり火をつけて遊んでいたことを併せ考えると、Aには火遊び癖があること、及び、それにも拘らず被告らにおいてマッチの管理が充分でなかつたことが窺われる。そして被告和夫本人尋問の結果によつては、未だ被告らがAの監督義務者としての注意義務を怠らなかつたものとは認ることはできず、その他これを認めるに足りる証拠はない。

よつてその余の点につき判断するまでもなく被告らは各自Aの放火行為の結果について民法七一四条一項により賠償責任を負うものというべきである。

四原告美好の損害

1  家屋の損害

<証拠>を総合すれば、焼失家屋は木造セメント瓦葺二階建居宅で、床面積は合計105.31平方メートル(31.85坪)であること、右建物は、原告美好が昭和四四年一一月に新築物件を購入したうえ、昭和五〇年五月に増築したものであること、原告は昭和五七年八月に焼失家屋の跡地に木造瓦葺平家建居宅72.27平方メートルを新築したがその建築費用として金八四四万八八八七円を要したこと、焼失建物を焼失当時に新築するには坪当り約金三五万円を要することの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

木造建物の通常の耐用年数は三〇年程度と考えられるので、焼失当時の焼失家屋の現価率は七五パーセントと認めるのが相当である。したがつて焼失家屋の損害は金八三六万円(但し一万円未満切捨て)となる。

なお<証拠>中には、焼失家屋の損害は金四七七万一〇〇〇円である旨の記載があるが、これらはその記載内容に照らしいずれも消防職員による推定額と認められるから、右認定を左右するものではない。

2  解体工事費

<証拠>によれば、同原告は焼失家屋の解体撤去のために金三五万円を支出した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

而して、右支出は、本件火災と因果関係のあるものと認めるのが相当である。

3  塀等撤去、新築工事

<証拠>によれば、本件火災のため、焼失家屋の周囲に存した門、門柱、門扉、塀(以下塀等という)が影響を受け、割れたりなどしたので、原告美好はこれらを撤去し、東側部分にブロック塀を建築したために金一四万円を支出したこと、その余の新築については金三八万九一〇〇円を要することの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、<証拠>によれば、本件火災により原告美好所有の建物は全焼しているものと評価せざるを得ず、また弁論の全趣旨によれば、塀等は、築造後数年ないし一〇年余を経過しているものと認められ、右認定に反する証拠はない。

而して、右事情を考慮すれば、本件火災と因果関係のある損害は、金三二万円と認めるのが相当である。

4  家財

<証拠>を総合すれば、本件火災当時満五二才で、昭和五六年四月一日より長崎県壱岐郡勝本町立勝本中学校教諭の職にあつたこと、焼失家屋に別紙家財損害一覧表記載の家財が存在し、本件火災により焼失したこと、これらを現時点で新規購入すれば、ほぼ原告主張どおりの価額となるであろうこと、しかし、右家財は原告らが使用中のもので殆んど新品はなく一〇年以上経過しているものも少なくなく、中には原告美智子が婚姻の際持参したものもあること、同原告の昭和五七年度の給与所得が金七三二万九四一三円であること、の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

これらの事実を併せ考慮すると、右家財一覧表中、※47ピアノ及び※100ないし※106の幼児用品を除く物件の本件火災時の価額は金五〇〇万円と認めるのが経験則上相当である。

5  標本、文献、研究用器具、薬品、慰謝料

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  原告美好は、昭和二三年ころから甲殼類の研究を開始し、①昭和三一年には、オヨギピンノの生態について、日本動物学会で講演発表し、②昭和三二年には、オヨギピンノの研究により、文部省の科学研究費補助金(奨励研究)を受け、③昭和三五年には、論文「長崎県海産動物相の研究」により、長崎県教育委員会の学術研究受賞者となり、④そのころ、かくれがに科の新種であるシジミピンノを発見し、⑤昭和四一年には、ヒメムツアシガニの発生形態の研究により、文部省の科学研究費補助金(奨励研究)を受け、⑥昭和四二年には、こぶしがに科の新種であるサガミコブシを発見し、⑦昭和四五年には、やわらがに科の新種であるアリアケヤワラガニを発見し、⑧昭和四六年には、ヒメムツアシガニの発生形態の研究をまとめ、日本甲殼類学会の雑誌に論文を登載するなど研究を継続してきたが、その中でもヒメムツアシガニ及びオヨギピンノについての研究は、学界でも高く評価されているところ、本件火災当時には、①ヒメムツアシガニ、②オヨギピンノ、③シジミピンノ、④長崎県海域に産する甲殼類相の各研究を継続していた。

(二)  原告美好は、三〇有余年にわたる研究の間に、研究のため、甲穀類の標本、内外の文献を多数収集、整理し及び研究用のメモ、器具、薬品などを所持していたが、勝本町に持参した極くわずかの研究用メモを除けば、そのほとんど全てを本件火災により失つた。

なお、焼失してしまつたため、標本、文献、研究用の器具、薬品の全部を詳らかにすることはできないが、同原告の従前の研究歴に照らせば、評価額の点はさて措くも、少なくとも別紙標本損害一覧表、焼失文献一覧表、研究用器具一覧表の記載にほぼ添うものを所有していた。

(三)  原告美好の所有していた標本の数は優に一〇〇〇点を超えていたが、その内には、同原告が新発見した前記シジミピンノ、サガミコブシ、アリアケヤワラガニなどの貴重なものが四〇点余り含まれていた。ところで甲殼類の標本は、金銭的に取引される事例がほとんどないため、その金銭的評価は容易なものではないが、ハリカルイシガニの様に金三〇〇万円と評価されるものも存する。そして、日本甲殼類学会会長の酒井恒は、焼失した同原告の標本を金三〇〇〇万円以上と評価している(なお乙第一〇号証中の、標本の評価が金一二〇万円なる旨の記載は、同号証が本件火災直後の昭和五六年四月三〇日に作成されているうえ、標本の内容を吟味することなく、一点につき金一〇〇〇円と評価しており、標本の評価としては採用し難い。)。

また、取引事例がほとんどないこと、オヨギピンノ、アリアケヤワラガニなどについて同原告の如く深く研究している者がいるものとは窺われないこと、同原告が焼失した標本を収集するに要した期間、労力、同原告の年令などを併せ考慮すれば、同様の標本を、再び収集することは、不可能に近いものである。

(四)  原告美好の所有していた文献は、優に二〇〇〇点を超えていた(原告美好の損害請求分についていえば雑誌・単行本が二六四〇冊、論文が一一三編である。)。同原告の損害請求額は約金二〇〇〇万円であるがそのうち約金一七〇〇万円は右論文に対するもので特に外国論文五五編について約金一一〇〇万円(平均すると一編当り約金二〇万円)でその評価の根拠について確たるものは認められない。雑誌・単行本については古書店等において請求額約金三〇〇万円余とほぼ同額の評価がなされており、本の損傷度によつて必ずしも同額の評価がなされるとは限らないが、雑誌のバックナンバーなど、数一〇万円と評価されている物が数点含まれ、それ以外でも、購入には、数千円あるいは数万円を要するものがほとんどである。

また文献の内には、前記外国論文をはじめ絶版その他の理由で入手が著しく困難あるいは不可能に近いものも少なくない。したがつて、同原告が、従前と同様の文献を、再度収集することは不可能に近いものである。

(五)  標本、文献及び研究メモの大部分を一瞬にして失つたため、原告美好の研究には、回復し難い影響があつた。

(六)  原告美好の所有していた研究用器具は、優に一〇〇〇点を超えていた。

(七)  原告美好にとつては、標本、文献、研究用器具、薬品については、その財産的価値よりも、長年の研究の努力、成果としての精神的価値の方が、より大きな意味を有している。

以上の事実によれば、標本、文献、研究用器具、薬品の焼失については、その財産的損失の評価が容易ではないばかりか(前記のとおり一部について評価可能なものもあるが、全体的には殆んど不可能である。)、原告美好にとつては、多大な精神的苦痛を与えたものであるから、財産的価値を充分念頭に置いたうえで、一個の慰謝料として評価するのが相当である(なお、同原告については、本件全証拠によるも、右標本などの損失以外には、財産的損害とは別に金銭に評価すべき精神的損害は認められない。また、本訴の如く、一個の不法行為に基づく損害賠償請求においては、認容額が請求額を超えない限りは、原告の定立した各費目の価額を超えて、裁判所が損害額を認定したとしても、弁論主義には違背しないものと解する。)。

そこで、損害額を評価するに、貴重な標本四〇点余については、高価なものは金一〇〇万円を超える評価のものもあり、廉価のものでも金一〇万円単位で評価すべきものと考えられるから、控え目にみて一点平均金三〇万円と評価しても、合計で金一二〇〇万円を超える財産的価値を有することになり、その余の標本も平均すれば、少なくとも一点当り金一〇〇〇円はするものと考えられるから、合計金一〇〇万円以上の財産的価値があるものと考えられる。また文献についても、平均すれば、少なくとも一点あたり金四〇〇〇円程度の財産的価値を有するものと考えられるから、合計金八〇〇万円と評価できる。さらに、研究用器具、薬品も平均すれば、一点当り金五〇〇円程度の財産的価値を有するものと考えられるから、合計金五〇万円と評価できる。これらに、標本、文献を収集するのに三〇有余年の期間と多大の労力を要したこと、ライフワークである研究に回復し難い影響を受けたこと、標本や文献を従前通りに回復することは不可能に近いことなどを併せ考慮すれば、財産的価値を念頭に置いた慰謝料としては、金二三〇〇万円とするのが相当である。

6  交通費、宿泊費、電話代

(一)  <証拠>を総合すれば、原告美好、同美智子は、本件火災の連絡を受けて直ちに翌日の昭和五六年四月二八日に、勝本町から長崎市に来て、以降同年五月七日まで本件火災の事後処理のため長崎に滞在して、勝本町へ帰つたこと、同原告らは右往復とも壱岐空港から長崎空港まで航空機を、勝本町の自宅から壱岐空港まで及び長崎空港から長崎市まではいずれもタクシーをそれぞれ利用し、その費用として原告美好は片道金二万四〇〇〇円合計金四万八〇〇〇円を支出したこと、長崎滞在中は焼失家屋の近くの知人馬渡方に宿泊しその謝礼として金一〇万円を渡したこと、原告美好は同月一七日福岡で被告らと本件損害賠償問題について話合いをしたが、そのために壱岐―福岡間の往復航空機運賃及び福岡での会場費を支出したこと、以上の事実が認められ右認定に反する証拠はない。

ところで、原告美好らの来崎は、本件火災発生直後の往路は緊急時のこととして航空機、タクシーの利用も止むを得ないが、復路についてはこれが必要であつたものとは認め難い。なお、勝本町の当時の同原告らの自宅と長崎市の焼失家屋までの通常の交通手段としては、自宅から港まではバスを、博多まで船を、博多港から博多駅まではバスを、博多駅から長崎駅までは国鉄を、長崎駅から焼失家屋まではバスを各利用するのが相当である。そして右の方法によつた場合の交通費は一人片道約五三〇〇円合計金一万〇六〇〇円であつたことは当裁判所に顕著である。したがつて右往路金二万四〇〇〇円、復路金一万〇六〇〇円の合計額金三万四六〇〇円をもつて相当な損害と認める。

また弁論の全趣旨より認められる本件火災の程度から考えれば、原告美好らは、事後処理のために、少なくとも七日間の滞在が必要であり、かつ、一人当りの宿泊料としては金四〇〇〇円と認めるのが相当であるから、原告美好が支出した前記宿泊謝礼のうち金五万六〇〇〇円をもつて相当の損害と認める。

(二)  なお原告美好は被告らとの示談のための交通費を請求しているが、本訴においては、後記のとおり弁護士費用として金二〇〇万円を認容するので、本件損害賠償請求の費用としてはこれをもつて充分と思料されるから、その余の支出費用は相当な損害としては認めない。

(三)  <証拠>を総合すれば、原告中村玲子(当時松尾玲子)は、当時福岡の大学に在学していたが、教育実習を受けるため、昭和五六年八月三一日から同年九月一四日まで長崎市に滞在し玉園荘及び長崎荘に宿泊したが、右玉園荘の宿泊費(九日分)及び長崎荘の宿泊費を原告美好が支出した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

而して、その間の食費は、本件火災により原告美好方が焼失しなくても、支出すべきものであるから、純粋な宿泊料のみが損害となるところ、宿泊料としては一日金二五〇〇円一四泊分として金三万五〇〇〇円が相当と認められるところ、原告美好は右金額の範囲内である金三万一四〇〇円を請求しているので、右同額を相当の損害と認める。

(四)  弁論の全趣旨によれば、原告美好が本件火災時の連絡等のため金二万五〇〇〇円の電話代を支出したことが認められ右認定に反する証拠はない。そして原告らの居住関係等からみて右のうち金五〇〇〇円の限度で必要な支出と認めるのが相当である。

7  損害填補

(一)  原告美好が、本件火災により、保険金として合計金四五〇万円の給付を受けたことは当事者間に争いがない。そして、右保険金の給付により、保険者の代位の制度によつて保険者が損害賠償請求権を取得する結果原告美好の損害賠償請求権は右保険金と同額だけ減少するものと解するのが相当である。

(二)  原告美好が、山田一郎、同和子から、本件火災の損害賠償として、金一五〇〇万円の給付を受けたことは、当事者間に争いがない。

8  弁護士費用

以上のとおり、原告美好については、本件火災により金一七六五万七〇〇〇円の損害が生じていること、後記のとおり、その余の原告らについても、合計金三三一万円の損害が生じていること、<証拠>によれば、原告美好は、原告代理人に本訴の訴訟委任に伴い、金三〇〇万円の支払いを約していること(この認定に反する証拠はない。)、及び弁論の全趣旨により認められる本訴の難易度を併せ考慮すれば、本件火災と相当因果関係のある弁護士費用は金二〇〇万円と認めるのが相当である。

五原告美智子の損害

<証拠>を総合すれば、原告美智子は、焼失家屋内に、請求原因5記載の骨董品、美術品を所有していたがこれらの全てが焼失したこと、その価額は、正確に評価し難いがごく控え目に見積つても金三〇〇万円は下らないものと認めることができ右認定に反する証拠はない。原告らは右物件の価額を金五四一万三〇〇〇円と主張するが、その根拠とするところは類似品又は同一作者の他の作品の評価額より類推した原告らの見当額であつて直ちにこれを採用することはできず、前記三〇〇万円の限度でその損害額と認めるのが相当である。

なお原告美智子は慰謝料として金一〇〇万円を請求しているが、本件放火の如き何ら人格的攻撃を含まない不法行為においては、財産的損害について交換価値を有するものとして損害填補がなされるときは、仮に個人的受惜を有する物件があつたとしても、右損害填補により精神的慰謝も充足するものと考えるべきであるから、同原告の右請求はこれを認めない。

六原告中村玲子の損害

<証拠>を総合すれば、原告中村玲子は、焼失家屋内にピアノを所有し、本件火災によりそれが焼失したこと、本件火災当時同原告は満二一才であつたこと、同型のピアノの新規購入価格は金五一万円であることの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

而して、本件ピアノが購入直後のものと認めるに足る証拠はないから、原告中村玲子の年令をも考慮すれば、右焼失時の現価は金三〇万円と認めるのが相当である。

七原告香川文子の損害

原告美好本人尋問(第一回)の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、原告香川文子は、原告美好、同美智子の長女であり、本件火災当時は他家に嫁いで子供が一人いたこと、帰省の際の便宜を考えて、実家である本件焼失家屋に子供の衣類など別紙家財損害一覧表※100ないし※106記載の幼児用品を備え置いていたところこれが焼失したこと、右物件を新規に購入するとすれば合計金二万七二〇〇円を下らないことが認められ右認定に反する証拠はない。而して右物件が新品であると認めるに足る証拠はないから右焼失時の現価は金一万円と認めるのが相当である。

八以上のとおりであるから、原告らの請求は主文一項の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(渕上勤 加藤就一 小宮山茂樹)

家財損害一覧表等<省略>

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